05/12/17
ついつい本気になるアウトドアアクティビティ
昨年のちょうど同じ時期に開催して、生憎の雨ながら好評だった「GPSで遊ぼう in 四国」を今年も12月11日に開催した。
今年は野遊び屋とJAF香川の共催で、ぼくはオブザーバーという形になり、9日に現地入りして、システムなどの打ち合わせをした後、10日にセッティングを行った。
GPSを使った宝探しは「ジオキャッシング」としてアメリカから始まって、今は世界中に広まっている。これは、GPS持参で「宝」を隠しに行った人が、隠した場所の緯度経度を測り、その数値と周囲の手がかりをジオキャッシングのサイトに掲載して、それを見たジオキャッシャーがGPS片手に探しに行くというものだ。ぼくたちが行っているものもこのジオキャッシングを手本としたものだが、去年はセッティングの時間が満足に確保できなかったため、指定した緯度経度の場所に行って、周囲に見えるランドマークを携帯電話で報告してもらうというバーチャルなシステムで行った。
今年は、「やっぱりその場で『お宝』が手に入らないと、実感が薄いよね」ということで、野遊び屋の扱うアイテムをお宝として数箇所に隠し、これを文字通りジオキャッシングしてもらうことにした。
第一ポイントは山の斜面の柿の木。どこからどう見ても普通の柿の木だが、近くに寄ってよーく見ると……。第二ポイントはこれも柿の木がキーで、山の中の柿の木を背にして西へ20歩進んだ場所に……。第三ポイントはいったん海岸に出てGPSポイントに達した後に、東へ30歩、南へ……。第四ポイントは、まず小さな祠を探し、その背後の……といった具合。これは仕掛けるほうも楽しい。
今回はご家族で参加してくれた方もいたが、大人がGPSの操作方法でとまどっているうちに子供たちはすぐにマスターして、ずんずん先へ進んでいく。もっとも大人と違ってあまり細かいことを考えずにGPSの指示に従ってあっちこっちと駆け回るので、一緒に付いている大人はたいへんだ。
ガイダンスに1時間ほど、クエストに2時間弱、そしてベースに集合してから各チームの軌跡を比較などして楽しみ、今回のイベントは終了。子供たちも飽きずに半日楽しんでくれて大成功だった。次回はもっとロングスパンのコースも用意して、本格的なジオキャッシングイベントとしてみたい。
ところで、イベント終了後、まだ日が暮れるまでにはだいぶ時間があったので、スタッフと希望するお客さんで、近場のジオキャッシュを探してみることにした。
アメリカのサイトに繋いで香川県のキャッシュを探すと、少々離れているが高速を使えば3、40分で行けそうなところに発見。さっそく野遊び屋のワンボックスに全員乗車して愛媛県との県境に近い自然公園へ向けて出発した。
遠く瀬戸大橋を望む山の上の展望台から茨に覆われた崩れやすいガレ場を下っていく。先回りして藪で棘まみれになって探していたY氏は、「もう誰かが拾うたんや。もうここにはあれへん」と早くも諦め気味。開けた場所なのでGPSの精度も高く、ぴったり目標まで0mを指すも、それらしきものは見当たらない。
誰もが諦めかけたとき、いったん斜面を降りてきのこ狩のようにアプローチしていたO嬢が「あったー!!」と歓声を上げる。岩の間に隠されていたジオキャッシュをゲットして、ログブックに書き込み、さらにタッパーの中にあるアイテムから好きなものを選んで、代わりに午前中のイベントでゲットしたアイテムを入れる。「お宝」をゲットしたO嬢はすっかり今日一日でジオキャッシングにのめりこんでしまった模様だった。
現場までの移動もGPSのナビゲーションに頼り、現場でもピンポイントへつめていくのにGPSを使って、まさにGPS三昧の一日だった。
----uchida
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05/12/05
風景が忍び込むとき
ときどき自分の意識にそのときの思考や状況とまったく関係ない「風景」が唐突に現れることがある。風景がはっきりと目に浮かぶわけではなく、自分がある風景の中に佇んでいる雰囲気がひしひしと感じられるのだ。荒涼とした地の果て。周囲に生き物の気配はほとんどなく、前も後ろも右も左も地平線まで頼りない草と礫の混じったいかにも痩せた土地が続いている。空には今にも雪を降らせそうな厚い雪雲があって、間近に目に見えない怪物がいて荒い息をするように、冷たい風が不規則に吹いている。
ありふれた日常の中で時々、そうした風景がぼくの意識の中に忍び込んでくる。今ここにいると感じている「日常」が、じつは空蝉の姿であって、本当の自分は荒涼とした風景のほうにあって、空蝉をイメージしているような現実感の逆転した気分。
ジャンキーだったらまさしくフラッシュバックなのだろうが、ぼくにとってのこの感覚はけして不快なものではない……というよりそれは不思議な安心感をもたらしてくれる。
人間なんて芥子粒同様でまったくの無力に感じられるその荒涼の風景の中に一人ポツネンとしているぼくは、何も考えず、ただ冷たい風によって風化されるにまかせ、細胞が砕け散って風景の中に拡散していくにまかせている。そして、肉体を亡くしたぼくの意識はその風景の意識と同化していく。そこには「個」を喪失していくことの寂しさや悲しさではなく、「個」を喪失することで「個」の呪縛から抜け出し、ずっと自由になる快感がある。
もしかしたら単なる日常からの逃避なのかもしれない。でも、ぼくがこの空蝉の世でバランスを保って立っていられるのは、そんな空想の風景がいつも心のどこかにあって、時々空蝉の自分に冷たい風を吹き込んでくれるからだと思う。
以前、そんな風景をはっきりとイメージできたことが二度あった。最初は宮内勝典の「ぼく始祖鳥になりたい」の中に出てきた「ペインテッドデザート」の記述を読んだとき。そして二度目はその直後、まさにペインテッドデザートと思しき風景が「いいちこ」のイメージポスターの写真になっているのを発見したとき。宮崎勝典の記述を読んだときは、そのくだりを何度も読み返しているうちにはっきりとあの風を感じた。そしてポスターと対峙したときは、その中から風が吹いてきた。そのときのことはいずれも過去にこのコラムにも書いた。
今読んでいる「風景と記憶」では、「風景はそれが発見されるからこそ風景になる」と冒頭に示される。その伝でいえば、ペインテッドデザートのような実在の風景が、ぼくに発見されることを待っているのかもしれない……。
----uchida
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05/12/01
シャーペンの人
モノにこだわるのはある意味で進化であり、ある意味で退化だ。
見境の無い行動力に溢れていた頃は、日常使う道具などどこにでもある使い捨てのもので良かった。だけど最近は「プレミアム」というほどのものではないにしろ、自分が求める「テイスト」が先行して、それに見合ったものを使いたいという欲求が強くなった。
どうでもいいようなことにこだわってしまうのは、バイタリティが退化したことにほかならないし、また、不惑も遠に過ぎてようやく物事の機微が少しは感じられる人間に進化したとも言える。何かを得ることと引き換えに何かを失っているわけだから、総体としてはずっと平衡しているだけなのかもしれないが……。
それはともかく、最近、読書する際には必ずシャープペンシルを右手に持っていないと落ち着かなくなった。筆記具はずっとペリカンとロットリングを愛用していて、これまでは読書のときには傍らにロットリングのトリオペンを置いて、本への書き込みは内蔵のシャープペンシルを使い、メモを取るときには黒と赤のボールペンを使っていた。トリオペンは三つの機能を一本で使い分けられるので便利だったのだが、ふと、実用性一点張りのこのペンを持って本を読むと、分析的な心理になりがちなことに気づいた。
仕事のための資料読みばかりではないのだから、もっと自由な気持ちで本に向かいたい、それでもどうしても自分なりの考えを即座に書きとめておくための筆記具は欲しい……そんふうに思って試行錯誤するうちに、一本のシャープペンシルに落ち着いた。
プレミアムじゃないけれど、それなりにしっかりと作りこみされて、アルミのボディがずっしりとしたペリカンの最近のモデル。これにファーバーカステルのHBの芯を組み合わせる。太さは0.7mm。重い軸と柔らかい芯のおかげで、力を入れなくてもくっきりとした線や文字が残る。このシャープペンシルを手に、読書しながら気がついたことはそのまま本にどんどん書き込んでいく。これは快感だ。滑りがいいので、別にメモを取りたいようなことも、そのまま活字の隙間にどんどん記していってしまう。筆圧をかけずに書いているから、後でべつにメモを取ろうというときは、書き写したらきれいに消しゴムで消すことができる。
鉛筆からシャーペンを使うようになると、少し大人になったような気がして、なんとなく誇らしかった幼い頃。中学に上がると、ペンでノートを取るようになって、「シャーペン」という言葉の響きが逆に子供っぽく感じられるようになった。
そしていつしかデジタル社会にどっぷりと浸かって、メモはモバイルPCで、スケジュール管理はPDAで、手書きの代わりにキーボードを叩いたりスタイラスを使うのがクールに思えるようになった。
そしてまた不惑を過ぎたあたりから、手書きの味を再認識して、手帳にペンを走らせるようになった。さらに進んで(退化して?)、気がつけばまた「シャーペン」の人になっていたというわけだ。
----uchida
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05/11/27
Coincidence
因縁という言い方ではどこかおどろおどろしいし、再会という言い方では含みが弱い。いろいろ考えると、英語の「Coincidence」という言葉が透明でありながら、そこにはただの出会いや再会とは違った含みがあってぴったりくるように思う。何のことかというと、この一ヶ月のぼくを取り巻く状況の話だ。
前回のコラムで、ゲーム開発時代の旧友と再会した話を書いた。有楽町で彼の講演会があり、その情報を得たぼくは自発的に彼の話を聞きに行ったわけだが、その後、1ヶ月の間に、同じゲーム開発時代の知り合いから連絡があり、また同じプロジェクトに関わることになった。さらにその翌日、小春日和の陽気に誘われて自宅の近くにある東京外国語大学の学園祭に出かけてみると、もう10年以上顔を合わせていなかった旧友と出くわした。
40代以上の人で10代のときに多少なりとも音楽に興味をもった人なら「アナーキー」というバンドの名前を聞いたことがあるだろう。その中でいちばん目立っていて、インパクトの強かったボーカルの仲野茂。彼が外語大で出くわした旧友だ。
彼とぼくは1985年にペアを組んで、BAJA1000というメキシコで行われるオフロードレースにバイクで出場して日本人のライダーとしては二組目の完走を果たした。外見の雰囲気からすると、彼のほうが大雑把で大胆、ぼくのほうが繊細でナイーブなイメージを持たれるが、実際はまったく逆で、彼は細かいところに気がつき、周囲に常に気をつかい、細かいことをコツコツ築いていくタイプ。ぼくのほうは、物事に無頓着で人のことなど何も気にしない。そんな正反対の性格の二人がチームを組んだレースは、いろいろドタバタもありながら、お互いを補い合って、じつに楽しく進んで、いい結果を残せた。
その後も一緒にキャンプに行ったり、バイクに乗って遊んだりしていたが、彼はバンド活動からさらに役者へとキャリアを進め、ぼくのほうはゲーム業界に足を突っ込んだりして、だんだん疎遠になってしまった。
そして10年以上も音沙汰もなく時が流れ……偶然、外語大の学園祭で芝生に腰掛けて仲間とボージョレーヌーボーを何本も空けて出来上がっている懐かしい顔と再会したわけだ。
彼は、ぼくが声を掛けるとすぐに気づいて、「あれぇ」なんて素っ頓狂な声を上げて、再会を喜んでくれた。そして、一緒にいた仲間たちに「いつも話しているBAJAを一緒に走った内田君だよ」と紹介してくれた。
長いブランクがあっても、顔を合わせたその瞬間に20年前のあのときに戻れてしまうのは、若いときにそれだけ濃密な時間を一緒にすごした証だろう。レースに望む前の練習のあれこれや、レース中のシーンなどが、まさに昨日のことのように思い出される。
もともと有機農法の食品にこだわったり、ナチュラル志向だった彼は、今、富士山の麓で陶芸をしたりして過ごしているという。一見ナチュラルな世界と正反対にいるような彼がそういう生活を送り、一見ナチュラリストのようなぼくが不健康な都会生活をしているところなど、まさに昔の姿そのままで、そんなことも含めて「お互い、変わらないねぇ」なんて笑いあった。富士山麓での再会を約して、その場は別れた。
そして、週が空けてすぐ、今度は15年来の付き合いの編集者から連絡があり、ぼくがライター人生をスタートさせたちょうどそのときにかかわった雑誌の編集に参加するよう要請された。じつは、その話は去年から浮かんでは消えてを繰り返していて、ぼくとしてはもうほとんど期待をしていなかったのだが、今月に入ってからとんとん拍子に話が運んで、一気に実現の運びとなったというわけだ。
フリーランスとして仕事をはじめてちょうど20年目、心の底から信頼できる友人たちと新たな世界を築いていけというメッセージなのかもしれない。
----uchida
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